プロレス美術館モノがたり


〜下を向いてあるこう〜


生まれついてのシブチン(ケチ)な性格で

いつも得することばかり考えていた


プロレスを見始めた昭和40年代後半

小•中学生の入場料金は 立ち見で500円

パンフレットが200円 交通費を合わせると

1日の出費が1000円を超える


子供のぼくにとっては超!のつく大金だった。


大金をはたいて「生観戦」だけでは満足できず

何かしら その日の「お土産」が欲しかった



ターゲットは電柱に貼り付けられた

大会宣伝用のポスター


大会終了後では 

ふつうに剥がそうとしても破れてしまう

なので 駅から会場に向かう道すがら「一仕事」

しておく


霧吹きでポスターの裏側に入念に水分を含ませてから会場入り


すると試合観戦中に魔法がかかってしまう


メインが終了し 興奮冷めやらぬ頃

ターゲットのポスターは もうヨレヨレで

ギブアップ寸前!

スムーズに電信棒から破れず剥がすことができた


それをクルクルと丸めて歩き出すと

足元には捨てられたチケットの半券が1枚

そしてまた席種の違った1枚が風に舞っている


それを追いかけ泥を払いポケットに入れニンマリ


時にはパンフレットを拾う時もあり

その時の興奮は今でも思い出す




これらのスリルは今も忘れがたい「お土産」となった。

こうして集めに集めた「お土産」で家の押入れは

満杯になっていた。


〜試練の時(ピンチははチャンス!)

20世紀も後半
バブルの残り香も消え
世の中はどんどん不景気になっていった


その頃 社会人の僕は 相も変わらず

観戦の日々を過ごしていた

そんな時人生最大のピンチがやって来る…


京都の実家からの”SOS “


当時 実家はすでに築120年

このオンボロ屋敷が傾き始め 危険領域に達していた。


建て替えなければならない…

しかし どうしても決断できないでいる


老いた両親に返済能力はない。

この先何十年も住宅ローンの支払いに

がんじがらめにされると思うと「イヤだ!」と叫んでしまう


だが さらに家は傾いてきて 畳の上にコップが置けない



ここまでくると もう観念するしかない


住宅ローン25年


僕が60歳になるまで解放されないことが決定した





そんな中、人生最大の「閃き」が頭に浮かんだ。


それは


新築の一室を「プロレスの小部屋」にする!だった


それをローン返済のモチベーションにしようと決めた


床はリングのデザインをタイルで表現

野外会場のイメージで 天井は空模様にした


こうして「プロレスの小部屋」を含む

普通の「一般住宅」が完成!


…と同時に

リストラの波が襲いかかってきた



職を失い 25年のローンだけが残った


1999年ノストラダムスの大予言の春だった

〜広げた大風呂敷 始まりはリングから〜

こうなれば もうヤケクソである

人生が終わった訳ではない

お金は皆無。

だがここで有り余る「時間」が降って湧いてきた


プロレスの部屋を作ったはいいが

当時はお宝と呼べる物も少なく貧相な有様だった


部屋の中央にミニチュアのリングがあれば

見栄えがすると思い

有り余る時間を使い リングを作り始めた


建築後の廃材を利用し極力お金をかけずに作った


リングの他に 入場ゲートも 場外フェンスも作った


転落用マットは引越しの時の段ボールで作った


夢中になって作りに作った

(今思えば現実逃避だった)


気がつけば季節は進み秋になっていた


リングが出来たことによって

ただの「部屋」から「展示室」と呼べる空間になった

我ながら良い出来だぞ

そうだ!一般に公開してファンの人たちに観てもらおう!

そして「憩いの場」になれば良い


このちっぽけな部屋に

「プロレス美術館」という立派なタイトルをつけ

完全予約制でオープンする事にした


2000年元旦 プロレス美術館 オープン

無職の僕に 「館長」という肩書きが出来た 



〜もう一つの夢〜

その「美術館」は意外と好評で

マスコミの方々に取り上げてもらえて

それにつれて 来場者も増え 

お宝グッズを寄贈して頂く事もあり

徐々に展示品も見応えを増していきました


こうして皆様のお力に支えられて 

最近は広げた大風呂敷にも見合うようになり

感謝です!


私生活では 

中年の転職が上手くいくはずも無く

非正規の職を転々とする綱渡りのような生活

ローンの完済が先か、寿命が尽きるのが先か、

という状況で 何とか生きてこれたのは

「プロレス美術館」があったからです


あの時大風呂敷を広げて本当に良かった



この美術館は昭和プロレスの遺産として

次世代に受け渡していく事が 

今後の僕の使命だと思っております


そしてもう一つ
アラ還にして新たな野望が出来ました

見た目が地味な為 注目されずにいた
貴重な本や資料を集めた
「プロレス文学館」をオープンする事
そこを昭和プロレスファンのサロンにしたいと思ってます

「美術館」と「文学館」
この二つが揃った時
僕の「プロレスモノ語り」は完成するのです

2020
湯澤 利彦